「一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」
有名な江戸の言葉です。
登山という意味では、富士山は意外と初級者向きと言われています。
高さこそ日本一ですが、現在は登山道が整備されていて、人も多いので、開山時に登れば、よほどのことがなければ遭難する危険性が少ない山です。
こういうと身も蓋もないけれど、「整備された道をひたすら登る」と山頂へ着きます。
でも、意外と忘れがちですが、富士山は山自体がご神体なんですよね。
私は登ってみて、ものすごくそれを感じました。
ご来光の感動や登頂の達成感ももちろんありましたが、ご神体の中で感じた肉体の「生と死と復活」。
「登ってこい、登ってこい」と言われているような感覚。
ガイドさんが教えてくれた「富士山は生まれ変わりの山なんです」という言葉通りです。
登って降りて、その体験の後に何が残ったか。
私はどこの山でも、ご神体になっている山に登ることは、とても恐れ多いことだと思っています。でも一度は登ってみたい。
大神神社の三輪山もそうですが、一度だけ登らせて下さいと神様にお願いし、入らせて頂いています。
私は基本的に神社で願い事はしませんが、ご神体の山の頂上(奥宮)でも、現世利益をお願いする人は、少ないのではないでしょうか。
富士山のふもとにたくさんある浅間神社では、観光であれば、現世利益をお願いする人はたくさんいると思います。
でも、ご神体(富士山)の頂上で、現世利益をお願いする人、いるのかなぁ。
頂上では、ご神体の力によって人間の波動が引き上げられる現象が起こり、人間の本質、愛とか調和とか、そういったものの光が強くなっているような気がする。
すると、頂上でご参拝するときは、個人的な願い事ではなく、もっと人間の大きなところの感謝とか平和とか、そういったものしか内側から出てこないように思うのです。
これは願望でもありますが。
ガイドさんはこうも仰っていました。
「一度でも富士山に登ると、富士山を見た時の気持ちが変わります。あぁ、自分はあの頂上まで登ったのだと、登る前とは違う感覚があるんです」
その感覚が、登山が好きな人は達成感とか楽しい思い出とかになるかもしれませんが、それでも、あれほどの山の頂上までたどり着き、無事に家まで帰らせて頂いたという「感謝の気持ち」が、登る前とは違うのではないだろうか。
私は、明らかに変わりました。
これから富士山に登ってみたいと思っている人は、そんなことも頭の隅に入れておいて頂けると嬉しいなと思います。