もうひとつの「遥宮」、「瀧原宮」へと向かいます。
ここには「瀧原宮」(たきはらのみや)と、「瀧原竝宮」(たきはらのならびのみや)が並んでいます。
ご祭神はどちらも天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおかみのみたまーあまてらすおおみかみの正式名称)です。
同じ天照大御神の御魂を二宮並べてお祭りするのは、内宮と同じ形とされています。
つまり、天照大御神の御魂と荒魂を並べて奉祀する、古い形です。
向かって右が「瀧原宮」、左が「瀧原竝宮」です。
「瀧原竝宮」が荒魂にあたるようです。
しかしあまりに起源が古いため、実際のところ、「瀧原竝宮」の始まりについては不明な点が多いそうです。
瀧原宮は、地球や大地のエネルギーが強いように感じます。森の奥にあるせいかもしれません。
伊雑宮がすこんと天に通じている感じがするのに対し、瀧原宮は森羅の奥に深く入ってい感覚があります。
手水舎はなく、参道と平行して流れている頓登川(とんどがわ)におりて、手を清めます。
八咫鏡(天照大御神のご神体)を持って天照大御神を祀る場所を探していた倭姫命は、当初この瀧原宮の場所を鎮座の場にしようと考えていました。
天照大御神の御魂を据えるには近くに川があることが絶対条件で、ここには宮川があり、そして清浄な美しい場所です。
しかしここは、現在でも車がないと行きづらい場所です。
それは倭姫命の時代にも影響したようで、最終的に、五十鈴川があり、より内陸にある現在の内宮の地を、天照大御神をお祭りする場所にしたという伝承があります。
つまり「瀧原宮」は、いわゆる元伊勢ということになります。
しかし元伊勢多しと言えども、伊勢神宮の「別宮」になったのは、「瀧原宮」だけ。
その意味でも本当に別格です。
<続く>